内なる自己
物理的な形態は、リアリティー(現実)が選ぶカムフラージュ(偽装)のひとつです。
ですから取り巻く環境だけでなく、その肉体も自分自身で創造しているのです。
これは決して象徴としての話ではありません。 カムフラージュ自体は実在しますが、その中にはとてつもなく大きなリアリティー、すなわちその実在に形を与えた意識の力が存在します。私たちは身体の感覚器官を通してこのカムフラージュを知覚します。
しかしカムフラージュの内側にあるものを知覚するには、それとは別の種類の注意力と、身体の感覚を通して可能な以上に洗練された、巧みな手順が必要になります。それらは身体の感覚器官を通してだけではなく、それらとは別の、内なる伝達回路を通して知覚された情報同士を、互いに関係づける働きをします。
それは三次元を超えたリアリティーを感知できる、内なる知覚者ということもできます。そして内なる自己は、私たちが過去に存在したことの記憶の全てを保持しています。一切の客観的現実は、それら主観的次元からわき出ているのです。
自我は妬み深く、ひたすら願望を満たすことを要求します。
それゆえ自分自身にとって居心地がよく、理解の及ぶ範囲のリアリティーだけに浸り、それ以外の次元やリアリティーの存在は認めたがりません。
自我はもともと補佐役となるはずだったものが、どこかで専制君主と化すことを許されてしまいました。しかし自我が元来の性質を取り戻すことができれば、学びにも熱心ですし、好奇心という極めて重要となりうる価値も携えています。
もしあなたがリアリティーの本質について限定された概念を抱いているとすれば、自我は、あなたが受け入れている狭く閉ざされたリアリティーの領域に、あなたをずっととどめておこうと全力を尽くすでしょう。
しかしその一方で、もしあなたの直観力や創造的本能が自由になったなら、より崇高なる次元の何らかの叡智を、あなたの人格のなかで最も物質的な在り方に囚われている部分に伝えてくれることでしょう。