転生と受胎そして誕生
私たちはひとりひとりが男性としても女性としても生きることになっています。
そうした転生の記憶は原則として、顕在意識に上ることはありません。
母親が男性であった時の転生は、息子との関りを容易にするのを助けてくれるでしょう。
初産婦のなかには、攻撃的になったり、神経過敏になる人がいますが、それは男性である子供が母親の内なる男性性を活性化させた結果、攻撃的感情が募って起こります。
胎児を構成する原子には固有の意識があります。その意識はうつろいやすく、気づきを伴い、物質に依存することなく存在し、自己の能力とその程度に準じて物質を形作ります。
胎児の意識は、輪廻する人格をもった存在が胎児の中に入る前から存在しています。
輪廻する人格をもった存在は、自らの願望や性質に伴い、胎児の体内に入ります。
その時期は、受胎の瞬間、胎児形成のごく初期、誕生の瞬間など、斬新的で個人差があり、ほかの転生での体験に左右されますが、主に感情的性質による影響が著しいようです。
こうした性質は、必ずしも直前の転生における自己のものとは限らず、過去生での人生が集積した結果生じた、感情的な緊張によるところが大きいようです。
胎児が体内に入る方法もまちまちで、子供として誕生する人格をもった存在と、両親になる人たちが強い絆で結ばれている場合は、少しでも早く両親と一緒になりたいとの思いから、子供のほうが受胎の時点で即刻胎児の肉体に入る場合もあります。しかしこうした時でさえ、自己の意識の大部分は、引き続き中間生の次元において作用しています。
しかし徐々に状況は反転していき、やがては中間生に合わせた意識を鮮明に保つことが難しくなってきます。
受胎と同時に胎児に身を託す場合はまず例外なく、その親子の間に過去生からの繋がりがあるか、あるいはその人格をもった存在に執念にも似た地上生への願望があるかのいずれかです。
逆にかつて地上の存在に一意専心したことのない人の場合は、胎児の体内に完全に入りきる時期を遅らせたり、常時その肉体から一定距離を置いて存在していることもあります。
これは「死」を迎える時点についても同様のことが言えます。
物質次元に向けられていた意識の焦点を外し、肉体の意識だけを後に残して逝く人もいれば、最後の瞬間まで肉体に留まる人もいます。
幼児期の初期は、どういった事情にせよ、人格をもった存在の意識の焦点は常に肉体に固定されているわけではありません。
しかしいずれの場合も決定は前もって下され、輪廻する人格をもった存在は、受胎がいつ起きるかはわかっています。
人格をもった存在は実際、受胎するよりかなり前に、将来自分の両親になる人々の環境を、引き寄せられるように時折訪れる場合もあります。これはごく自然なことで、あなたがたの周囲に出現する霊はなにも過去からの霊だけとは限らないことがわかります。
受胎してからは、新しい人格をもった存在がそこに入ったり出たりしながら近くを浮遊し、出入りはその後ますます頻繁になります。
誕生の瞬間は、その全てが突然終わりを告げ、新たな刺激が一気に押し寄せます。
ここで必要とされるのは、安定性をもたらす要素です。
誕生以前の胎児の肉体意識と母体との間には、生物的テレパシーによる深淵なる一体性があり、胎児はそれによって豊かに育まれ、支えられています。
生きた細胞間の意思伝達は、想像以上に奥深いものです。