人は死ぬときどうなるのか

私たちが死ぬ瞬間、非常に素晴らしい現象が起きるといいます。
神経活動や脳の働きが停止すると、次元間のヴェールが開かれ、死に近づいた人は「スピリット」の世界へ入ることができるそうです。

死とは、すべてが終わることではなく、この世界から別の世界へ移行する瞬間。物質次元から非物質の次元へ移行すること。
しかし、その移行が誰にとっても簡単とは限りません。
現世に強い執着ややり残したことがあると、先へ進めず、この世界に残ってしまうことがあるようです。
そこで人生を振り返り、何を経験し、何を握りしめ、何を手放せなかったのかを見ることになるのです。

聖書の有名な「金持ちの男」の話があります。
大金持ちが天国に入るよりも、ラクダが針の穴を通るほうが簡単である。というものです。

これは、お金持ちが天国に行けないという意味ではありません。
問題なのは、豊かさそのものではなく、物質や地位、名声、成功に自分を縛りつけてしまうことです。
どれほど多くのものを持っていても、それを「自分の価値」として握りしめていれば、いざ手放すときに苦しむことになります。

そして、それはお金だけの話ではありません。
人間関係も、肩書きも、成功も、過去の栄光も、悲しかった出来事も同じです。

「この人がいなければ生きていけない」
「私はこんなに苦労した」
「もっと認められたい」
「これだけは失いたくない」

そうやって私たちは、生きている間にたくさんのものを自分に結びつけています。

けれど、死ぬ瞬間には、それらを何ひとつ持っていくことはできません。
ですから、死の準備とは、生きているうちから、不要な執着を手放していくこと。
お金を持たないことでも、成功を捨てることでもありません。
豊かであっても、それに縛られない。
人を愛していても、所有しない。
過去を経験として受け取り、過去に自分を縛らせない。
何かを持ちながらも、いつでも手放せる。

それができるほど、この世界にいながら自由になっていくのだと思います。

死とは、すべてを奪われる瞬間ではなく、すべてを手放して次の世界へ移行する瞬間。
だからこそ、死ぬときになって初めて手放すのではなく、生きている今、少しずつ手放していく。
そうすれば、今を生きることそのものも、もっと軽やかに、ゆとりあるものになるのではないでしょうか。