知的な人
「頭が悪い」と言われたくない人は少なくない。実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としている。
しかし「知的」の解釈については多くの人々の判断が別れるところではないでしょうか。
あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが知的であるかどうかのモノサシとして使われています。しかし少なくとも以下の態度はそのモノサシよりも参考になるのではないかと思います。
一つ目は、異なる意見に対する態度 知的な人は、異なる意見を尊重しますが、そうでない人は、異なる意見を「自分への攻撃」とみなします。
二つ目は、自分の知らないことに対する態度 知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れません。また、それについて学ぼうとします。
そうでない人は、わからないことがあることを恥だと思います。その結果、それを隠し、学びません。
三つ目は、人に物を教えるときの態度 知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っています。
そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っています。
四つ目は、知識に関する態度 知的な人は、損得抜きに知識を尊重します。
そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ、知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視します。
五つ目は、人を批判するときの態度 知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をします。
そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をします。
知的である、というのは、頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるかであり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだと思います。