輪廻転生
前世に興味を持つ人のなかには、前世自分がなにものであったかを知りたがる人がいますが、それらは内なる自己にとっては基本的に何の意味もありません。
実際強く影響を受けるのは、転生における深い感情的体験なのです。
よって輪廻転生のデータからは、感情的真価のほうが、より鮮明に、歪みもほとんどない状態で得られることになります。
前世の存在根拠をより確実にするために、名前や年代や日時をはっきりと示したがる人もいますが、最初に亡失するのは、そうした事柄からであり、それらの精神的な価値は最も低いと言えます。
したがって名前は、特定の緊急な必要性があって浮上するにすぎません。
名前ごときは手際よく順繰りに出てきて当たり前と思うかもしれませんが、内なる自己は、たびたびこの点でやりにくさを感じています。なぜなら名前など単にどうでもよいことだからです。
強い感情的負荷を伴う重要人物や出来事は、そうでない者よりはるかに鮮明に浮上します。
感情的出来事に関連した年代や日時も同様に思い出されるのです。
前世というのは、パズルを完成させていくようなものですが、その中核にあるのは、パズル自体が生じる元となった感情的現実に他なりません。
鮮烈で負荷の大きな感情的体験は、いかなるものも一連の詳細を帯びていますが、普通に経験する日時や名前などはほとんど意味がありません。根本的に、より重要とみなされるのは、相互関係であり、それらは決して忘れられることがありません。
それゆえ前世で家族であったものが、立場を変えてまた家族として編成しなおすことはよくあることです。
またどんなに穏やかで幸せに満ちているように他者からは見えても、霊的に創造性のない、無知で制約された人生を歩んだ人格存在に対して、深淵な問いかけをすることは賢明ではありません。それはただ、そうした存在が答える術を持ち得るわけがないからです。ゆえに亡くなられた縁者からのメッセージを受け取る場合は、受け取る側にそれ相応の知識が必須です。
輪廻転生の構造は精神的なものであり、それ以外の見地から理解することはできません。
輪廻転生に関してこれまでに蓄積されてきた歪曲や解釈については、時間の本質に左右される次元では当然の成り行きであると言えますが、輪廻転生のはざまの距離は、時代や年数の隔たりという意味ではなく、精神的な意味で存在します。
しかしこの精神的距離が計り知れぬほど大きい場合もあります。今世のあなたにとって直面したり取り組むことを躊躇している特定の事柄があるように、個々の転生にもそうしたものがあります。ある転生での人格と別の転生での人格の気質上の差があまりに大きいため、一方の転生での自己がその別の転生での体験に自らを符合させられない場合もあります。
私たちは数ある前世の中で、ともかく今世での在り方を向上させてくれるものに強く惹かれます。
一部を除いてほとんどの大人は、幼児や子供時代のことはあまり覚えておらず、人生の初期の記憶が希薄です。
ところが実際は、幼い時期に獲得した知識を使っており、それらは私たちの一部になっています。
ですから幼児期の環境は想像以上に重要です。
しかしながら顕在意識の上ではそのことに気が付いていません。
他の転生での存在についても同様で、顕在意識の上での自覚がないだけなのです。
転生とは、実は互換性現在に他ならないのです。
あなたとあなたの輪廻する自己の間には、絶えず相互作用が働いています。
つまり、全域にわたる不断の活動が展開されているのです。
すなわち現世以外の自己は死んでいるわけではありません。しかしながら、それを自覚できないのは、無意識のうちに、一度に体験できるのは一つの人生だけで、進化とは、一定方向の線上に沿ったものであるという見方をしているからです。