あなたが意識の焦点を合わせるものが、あなたの体験するもの
私たちは多くの理由があって現在の家族のもとに生まれています。
死を迎えた後、もしあなたが結婚されていて、相手と真の信頼関係を築くことができないとしても、ひょっとすると、かつての夫、あるいは妻であった存在が、あなたを待っているかもしれません。
軍隊や教会などといった様々な集団のメンバーが、別の転生で家族関係に収まることで、別の角度から過去の問題を取り扱う場合があります。
家族は、霊的活動のゲシュタルトとみなされる必要があります。家族には本質的な類似点があるのですが、その集団のなかでそれに気づいているわけではありません。
家族には潜在意識レベルでの目的がありますが、意識的気付きのないままに、それらの目標を目指す場合もあるようです。
そういった集団はあらかじめ、いわば物質的な転生と転生のはざまで結成されます。たいていは4~5人が一定の探求課題を掲げ、それぞれのメンバーに役柄を割り振ります。
このようにして、物質的存在における各人の役割が成立するのです。
内なる自己は、このような家族というゲシュタルトの隠れた仕組みを常に認識しています。
感情的な絆や、浅くて放縦な関係かのいずれかを好んで選び、多くの転生に渡りその状態を続けます。
しかしそうした場合には、輪廻の家族内部での成長しか望めないため、新しい関係の形が常に奨励されます。
真実とは決して複雑なものではありません。
あなたが悪の概念の存在を信じている限り、あなたにとってはそれが現実であり続け、具現化した悪を常に目の当たりにすることになります。
さらには「善悪の概念」を輪廻を通じて後に続く世代にまで持ち込むことになれば、あなたは悪という現実の増幅に加担することになります。
一方愛は必然的に自由を包摂しています。
もしある人が、愛しているからとあなたの自由を束縛した場合、あなたはしばしばその人を憎むようになります。しかし、愛しているからというその言葉ゆえに、あなたは心情的に自分の気持ちの正当性に自信が持てません。こうした感情のもつれが、様々な転生におけるもつれへと繋がっていくのです。
またあなたがご両親のどちらかを憎んでいるとしましょう。すると、どこの親に対しても憎しみを向けることに抵抗がなくなってしまいます。なぜなら、あなたを最初に傷つけた自分の親を、誰かの親である人々に投影し、彼らの中に自分の親の投影を見ることになるからです。
その後の転生においても再び家族の一員として生まれ、同様な感情を持ち合わせている自分に気付く可能性もあります。問題はその感情なのであって、その感情を喚起させた原因であるかのように見える家族のだれかではないのです。
またあなたが病気に対して憎しみを抱いている場合、のちの転生でも病気を体験することがあります。なぜなら、あなたのなかにある憎しみがそれを引き寄せるからです。
一方あなたが憎む代わりに愛、健康、そしてただ在ることの感覚を拡張すれば、今世においても他の転生においても、そうした資質を自らに引き寄せることになります。
あなたが意識の焦点を合わせるものが、あなたの体験するものだからです。
戦争を憎む世代によって平和がもたらされることはありません。平和を愛する世代によって、平和はもたらされるのです。
憎しみの対象が主義主張であれ、人物であれ、憎しみを抱いたまま死ぬということは、それがいかなる理由からであっても、極めて残念なことです。
より有益な形で自らの体験を創り上げ、そして世界を変えていく機会は全て、現在のあなた自身のなかに開かれているのです。
次回の転生では、現在の姿勢や物の感じ方を踏襲した人生を歩むことになります。
それでも現時点であくまでも憎しみを抱き続けることを譲らなければ、まず間違いなく別の転生でもそうすることでしょう。
しかしその一方で、あなたがこれまでに獲得してきた真実の閃き、直感、愛、喜び、創造性といったものもまた、その転生において存続します。
私たちは全ての転生を通じて、自分が見ている現実を自分なりに解釈します。
そしてそのやり方が自身に影響を与え、さらにはそれ以外の人にも影響を及ぼすことになります。
実際に憎しみを抱いている人は、即座にそういう自分を設定します。つまりその人は、自分の制約された理解の程度に応じて、現実の本質について早まった判断を下してしまうのです。