革紐に繋がれた子犬
私たちは輪廻する存在(今世は今の自分)を通して、自らの意識や知覚、そして価値を高めています。
また、自分自身で選んでいた規制から自由になり、自分を拘束してきた概念や教義から遠のくことで、精神的、霊的成長を遂げていきます。
そしてその学びのスピードは全て私たち次第です。
善悪の概念、独自の正義感は、私たちを進化から遠ざけるものです。
もしあなたが、精神的、霊的に柔軟な在り方をいつまでも選択しないでいると、そのあまりに狭量な概念は、いくつもの転生にわたってつきまとうことになります。
こうした頑なな考え方は、あなたを一所に繋ぎ止めることになります。まるで革紐に繋がれた子犬のように、ただぐるぐると小さな円を描いて回り続けることを余儀なくされるのです。
善悪の概念の多くは、非常に大きな歪曲をもたらす性質のもので、現実の本質の全てに関する理解をすっかり覆い隠してしまいます。
もしあなたが罪悪感を抱いていれば、それがあなたの現実となり、あなた自身がそれに与することになります。悪を憎むということは、単に新たな悪を創り出すことに他ならないのです。
人を殺すことは論理上明白な罪悪です。しかし、刑罰の名のもとに人を殺すことにしても、ただ原初の過ちを増幅しているにすぎないのです。
もしあなたが誰かを憎んでいるとします。するとその憎しみは、あなたが憎むことに精魂を使い果たすまで、いくつもの転生において、あなたをその人物に縛り付けることになります。
人は意識を向けている資質を自分に引き寄せるからです。もし自分に対して不正がなされていると感じ、不当に扱われていることを痛烈なまでに思い詰めてしまうと、さらなるそうした体験を引き寄せることになります。
そのような状況が持続した場合、次の転生でも、そうした資質が如実に映し出されるのです。
ところで、転生と転生のはざまには、理解と熟考を促すための「時間」があるというのは本当です。
しかし今世でそうした機会を有効に活用しない人は、人生の幕が下りた時点でもその通りであることが多いようです。
したがって、この転生が終わったら自分の体験を顧みて、善くないと思ったことは改めればよいだろうという発言は空しいものです。
私たちは現在すでに次回の転生の舞台を準備しつつあるのです。
今日私たちが抱く考えは、どのみち次の転生の骨格の一部となります。
私たちを一瞬で賢くしたり、思慮分別を授けたり、意識を広げてくれるような、魔法の呪文などは存在しないのです。
必要な答えは全て、思考や日々の体験の中にあります。今世でのいかなる成功も能力も、過去の体験を通して取り組んできたものばかりなのですから、それらがあなたに属しているのは当然のことです。
それらを発展させようと、あなたがたは日夜務めてきたのです。
親族や友人や知り合いや同僚などを見回してみると、あなたがいかなる存在であるのかがわかります。極めて根源的な、内なる類似点を通じて、彼らがあなたに引き寄せられてくるのと同時に、あなたもまた彼らに引き寄せられるからです。
月に数回、自分がどういった考えをもって生きているのかを、5分でも吟味するようにすれば、自らの次の存在の為に、これまでのところどういった転生を準備しているのかを、かなり正確に感じ取ることができるでしょう。
そこで見出された内容が、喜ばしくないものであれば、思考や感情の本質的部分を変え始めたほうがいいかもしれません。