パートナーシップにおける愛
パートナーシップ、特に恋愛関係では愛憎両面を経験する人は多いでしょう。
自分が幸せになるための力を誰かに託すと、やがてその人に都合のいいようにされるのが許せなくなります。特に女性は、受け身で恋愛を始めるケースが多いので、親密になるほどこのパターンが顕著に現れます。
相手を心から愛しているなら、なぜ怒りがわいてくるのでしょう。
それは、あなたが相手から欲しいものを手に入れようとするからです。
相手が要求に従ってくれる限り、あなたはその人を愛します。
しかしそれが叶わないとなると、愛していたはずの相手はたちまち敵に姿を変えてしまいます。
スピリチュアルな視点からみれば、自分に足りないものはありません。ですから、自分を救ったり、蔑んだりする力がパートナーに授けられることはありません。自分も相手も完全な存在とみなします。
自分の幸せは自分自身のうちにあると了解しているので、相手の振る舞いに関係なく充足感を感じることを選べます。
パートナーは、あなたの満たされない望みや怒りを投影するスクリーンではなく、常に理解を深めながら、見つめあう大切な仲間です。
一緒にいる目的は、互いの欠陥を埋め合わせることではなく、それぞれの完全性、すでに満たされているということを尊重し、表現することです。決して相手を責めたり、貶めたり、窮屈な箱の中に閉じ込めることではありません。
互いに最高のものを引き出し、あなた自身の光を最大限に輝かせるための手段であり、お互いの喜びを拡張させようとする作業です。
あなたに必要なものを与えてくれるのは、神しかいません。それは内在神、エゴとは異なる本来のあなたです。
それはパートナーを通してのみならず、あらゆる方法であなたのもとに届き、個人の好き嫌いよりもはるかに深いところにあります。
真実の愛を育む方法のひとつは、パートナーの振る舞いはこうあるべきだという思い込みを捨てると同時に、パートナーのエゴに基づく要求や期待からあなた自身を開放することです。
健全な関係においては、形態への執着はありません。特定の宗教を信仰していたり、人種、仕事、信条、ライフスタイル、文化などに強いこだわりがあると、それは難しいでしょう。
試練とは、学び損ねたレッスンが再び提示されている状態です。つまり、今度はより良い選択ができるということであり、そうして過去の選択によってもたらされた苦痛から抜け出せるようになるでしょう。
パートナーシップに苦痛を感じるのは、あなたがパートナーやその対象をきちんと見ていないから、つまり、観察者の目ではなく、感情のままに、あなたが見たいように見ているあなたの解釈です。
ほんとうに他者の真の姿を見ていれば、愛と感謝しか経験しないでしょう。
嫌な気分になるのは、自分の判断を正当化するために、相手の限られた面だけを見ているという証拠です。
相手の行動や選択をコントロールすることはできません。しかし、相手のどの部分に注目し、経験していくかは完全にあなたの自由です。これがあなたの本当の力です。