地球は最高の学び舎

人生に起こることを「カルマ」と捉えると、出来事の一つひとつが、背負わされた苦行のように感じられるかもしれません。

なぜ、こんなことが起こるのだろう。
なぜ、私はこんな経験をしなければならないのだろう。

けれど、私たちは苦しむために地球に来たのではありません。

人との関わりの中で愛を知り、
感情の揺れの中で自分を知り、
思い通りにならない現実の中で、自分で選択する力を育てていく。

地球には、魂の成長に必要なものが揃っています。
ここでしかできない学びがあります。

一方で、私たちは、現実そのものを見ているとは限りません。

たとえば、蟻が人間を見るとします。
腕の産毛に止まっている蟻から見える人間と、髪の中にいる蟻から見える人間では、同じ一人の人間でも、認識できるものはまったく違います。
蟻には、人間の全体像を捉えることはできません。

私たちも同じです。
自分が見えている範囲だけを「現実のすべて」だと思い込んでしまうことがあります。

大切なのは、無理に見方を変えることではありません。
自分の見方には限界があること。
自分は、見えている一部分から世界を捉えているにすぎないかもしれないこと。
そのことを知っておくことです。

そうすると、目の前の出来事を、簡単には決めつけられなくなります。
「自分には分かっている」という思い込みにも、気づけるようになります。

人生に起こることの意味を、その瞬間に理解できるとは限りません。
だからこそ、すぐに答えを出すのではなく、「まだ、自分には見えていないものがあるのかもしれない」
そう思える余白を持つ。

それは、何でも受け入れることでも、判断を放棄することでもありません。
自分の見えている世界だけを真実だと思い込まず、分からないものを分からないままにしておく力です。
その余白が、物事を一面的に捉えない知性を育て、やがて人としての深みにつながっていくのではないでしょうか。